デジモンテイマーズ第34話感想

デジモンテイマーズ第34話「心優しき勇者レオモン死す!」感想

脚本:小中千昭 演出:芝田浩樹 演出助手:地岡公俊 作画監督:八島善孝 美術:徳重賢 シリーズディレクター補:中村哲治(今話より追加) (2001/11/25 放映)

小中氏のブログより「34話は「レオモンが死ぬ回」ではない。ベルゼブモンが悪魔になる回でもない。メギドラモンに進化する回でもない。タカトが怪物になってしまう回なのだ。/シナリオ・タイトルは「デジタル・ハザード!!」/どういう経緯でこういうサブタイトルに変更となったのか、今は記憶にない。/関プロデューサーの話によると、当時は新聞のラテ欄(ラジオ・テレビ番組表)の文字数範囲で収まる最大限に、多い時は8案くらいも提出していたという。私のシナリオは割と変更されなかったエピソードが多かったので、今回の変更に驚いたのは確かだ。/自分でデジタル・ワールドを舞台にシナリオを書くのは今話が初めて。10話分の間、ひたすら調整と第三部の構成をやっていた。/33話の直後にこのエピソードを書くのは気が重かったけれど、仕方がない。こういうエピソードが無ければ、テイマーズが目指すドラマに至れない」。脚本家さん、お仕事でも気が重い作品てあるんですね。
冒頭ナレーション「そこはデジモンが自ら生み出した神々、四聖獣の領域。人に棄てられたデジモンが自らを進化させる輝きの力を、デジタルワールドの最も深きところに護っていたが、ある時それが失われた。そして今、そこには…」。そう、檻の中のクルモンが落ちてきて、檻が壊れ、最深部にクルモンは着地する。小中氏「そこは進化種鞘(しゅしょう)。/種鞘という植物の用語を持ちだした理由は覚えていない。シナリオから、こういう美術が生み出された」。クルモンは上へ行こうとジャンプするが、透明な壁がある。壁に映っているかつての自分、それは赤い三角の無機的なクリスタル。ずっと前にここにいた?激しく首を振る、クルモンはデジモンでクル。試しに即席の必殺技を繰り出してはみるが、元いた世界は遥か上。進化種鞘は赤ちゃんのベッドのように柔らかく温かそう。
荒野を歩くルキ一行。小中氏「ここでグラウモンになっているのはおかしい、とよく指摘されて、構成のミスだと謝ってきた。しかし25話でジェンが、何故ギルモンたちは完全体まで進化しても元の成長期に戻るのかについて述べた様に、「その状態が快いと思える」状態に、彼らは基本的にはなっているのだ。荒野を進む中で、子どもたちを歩かせるのは酷だと、留姫がレナモンをキュウビモンに進化させた時、ギルモンもそのポテンシャルにあるグラウモンの状態が「快い」と感じた故に進化したのだというのが今の私の解釈だ。/率直なところ、このシナリオを書く時の私の頭の中で、レオモン、キュウビモンと歩くグラウモンの姿が明瞭に映っていたからなのだが」。
代わり映えしない荒野に、不安は募る。帰れるのかとこぼすケンタに活を入れるヒロカズだが、彼とて帰れる確信はない。グラウモンはタカトはすぐに見つかると。乗せてもらい礼を言うヒロカズ、大きいから平気とグラウモン。レオモンは、キュウビモンに乗るジュリを気遣う。険しい顔で、タカトたちに思いを巡らすルキ。確かに、果てしない荒野を歩くのに、子どもたちを乗せたキュウビモンとグラウモンは絵になる。
南大門の近くにて。テリアモンとロップモンの耳と戯れるシウチョン、シウチョンまでDWに来てしまったことを案じるジェン。早くクルモンを連れて帰らねば。デジノームが複数舞い来る、ジェンは推測する、ブルーカードをRWに物質として送ったのがデジノームだと言うなら、彼らは僕たちに何か大事な事をして欲しいのかも。この気づきは大事。デジノームはやがて朱雀門へと去っていく。
ロップモンにクルモンの事を尋ねると「我らが神は、その進化の輝きを持つ者を取り戻し、神とこの世界を脅かす者を排除するために、塵となっていたデジモンの欠片を再構築し、我らデーヴァを作りたもうた」。クルモンが朱雀門の方へ運ばれるのを見たという。朱雀門とは、スーツェーモンの住む場所。行こうとタカト、しかしロップモンが止める。
クルモンに赤い光が近づき、神の声が聞こえる「お前はデジモンではない。元の姿に戻るのだ。お前はこの世界全てのデジモンに進化の輝きを与えてきた。元の姿となり、再び進化の輝きを解放するのだ」戸惑うクルモン。
神の力は偉大、と行く事に反対するロップモン。もう誰も傷つけたくないと。やさしいんだね、とテイマーシウチョンのフォロー。雷光と共に空は赤く染まる。チャツラモン始動。
小中氏「スーツェーモンは森山周一郎さんが23話以来に出演。しかしまだ姿は見せない。(中略)関プロデューサーに、森山周一郎さんが出演してくれたのは僥倖だったと言うと、お孫さんが丁度デジモンを見る年頃だったそうで、とても出演を喜んでおられたという話を20年後になって聞いた」。そういうお年ですもんね、実のところ聴けてラッキー。
レオモン、キュウビモン、グラウモン、それぞれにパートナーとなった経緯がある。自分は弱くテイマー失格、と落ち込むジュリにレオモンは言う「これは運命だったんだ。おそらく私はジュリのパートナーになるためにデジモンとしての生を受けた」はっとして礼を言うジュリ。運命発言キター!グラウモンはどうしたらそんな風に強くやさしくなれるのかと。レオモンはお前にはお前の運命がある、と。小中氏のブログより「さて今話で私は、くどいまでにレオモンに「運命」という言葉を言わせている。/樹莉との出会い、パートナーとなった事を、レオモンは喜んで受け容れた。それは戦ってロードして強くなる、という自分の生き方を変えられると思ったからだ。だからレオモンが今話で「運命」という言葉を使う時、「抵抗できない自分の未来」というネガティヴな要素を含む場合もあるのだ。しかしこの場面では、「戦わなきゃいけない」というデジモンの理に縛られていないグラウモンへの助言として用いている」。運命って…グラウモンには難しく、タカトに聞いてみると。
当のタカトは、テリアモンと一緒に朱雀門へ行くと。「本当に四聖獣が向こうにいるんだったら、一番強いデジモンだけど、この世界を守ろうとしている筈だもの。話せば判ってくれると思う」。しかしジェンは気が進まない。小中氏「純粋に、タカトが述べた様なアプローチが成果を出せるのならば、2001年には戦争が無くなっていた筈だった。しかし2001年時点でもそうではなかったし、2001年から新たな局面に世界は入った。/私が34話と、これ以降の展開について込めた想いは、2001年の、今から考えれば明瞭に平和であった日本の子どもに見せるべき物語だった。今のリアルな子どもに見せたいか、と問われたら考え込んでしまうのだ。今世界で起こっている事は、かつての厄災、戦争といった明確な危機ではない。しかし愚かな指導者の為に、未来が閉ざされかねないのが今の子どもたちだ。/幸いにしてデジモン・アニメは世界の広くで観られてきた。アニメという映像媒体が極めて普遍的な魅力を持っていたと改めて思う。日本人でなければ判らない社会風習や文化、言語の特異性なども、各国の吹き替えではそれぞれの担当者による配慮で、判り易く変更されただろう。レナモンの声が男性だったり、ロップモンが女の子になっていたり─。しかしアニメの物語、ナラティヴはほぼ誤解なく伝わっており、海外ファンのテイマーズに対する感想や、好きな人の好きな度合いというのは、驚く程に日本と同じなのだ。/だから、余計、今の子どもにこれを積極的に見せたいかというと、嫌だとは決して思わない。中には観る価値を後に見出す子供もいると信じたい」。ナラティヴとは、物語、語りという意味。語られた言葉、内容、語り口などを指す。
突如の大爆発で現れたのは、ベルゼブモン。なぜ殺そうとするのか、俺が進化する条件だったからと非道にも告げる。小中氏「ベルゼブモンはこれまで様子見程度の接近しかしてこなかった。ベルゼブモンに残っていたインプモンが抑制していたのかもしれない。しかし、今ここに現われたベルゼブモンには微塵の躊躇など一切なく、アサシンになりきってしまっている。/あれだけ《神》を敵視していたインプモンだった者が、何故ここまで従順に命令に従っているのか。ベルゼブモンは、人間とパートナーのデジモンを全てロードして究極のさらなる上の存在となり、神に挑戦しようと考えていたのかも知れない」。
ジェンがブルーカードをスラッシュ、ラピッドモンに進化、ラピッドファイアーを二連発するも無傷。ダブルインパクトを被弾しいとも簡単に倒れてしまう。ギルモンは不在、銃口を向けられてさあどうする。タカト、思いきりギルモンの名を呼ぶ。
それは荒野の皆に届いた。それは光の柱から聞こえた。どこへ飛ばされようと、確かにタカトの声だしこのまま荒野をさまようよりまし、「これも運命かもしれない」一同身構えて光の柱の中へ。これはまさかのチャツラモンの作戦だった。
怖さに泣きだすシウチョン、ジェンは抱き寄せるが、ラピッドモンも心配。立ち上がれないラピッドモン。DWで最強になるんだとベルゼブモン、タカトがインプモン時代の事を持ちだし説得を試みるが、そんな奴はもう死んだと言い切るベルゼブモン。
そこへまさかのルキ一同が到着。全員が揃った喜びは束の間。再会を喜ぶ、しかしタカトにはギルモンがデータだという気持ちのしこりが残っている。
インプモンに最も近しかったキュウビモンも声をかけるが、聞く耳持たず「そんな目で俺を見るんじゃねえ!お前らの墓場はここだ!」。
小中氏のブログ「記し忘れていたが、今話は八島さんの一人原画+徳重さんの一人背景。勿論多くのスタッフとともにこの映像を作り上げているが、根幹の二部門を一人で描き上げるテレビアニメは当時の東映アニメしかなかっただろう。/アクション描写のダイナミックさと、キャラクターの感情表現が大きいというのが八島さんの特徴で、今話はそれなくしては成立しなかった。/芝田さんはインプモンのエピソードを軸に担当されてきた。今話のベルゼブモンを、どういう想いでコンテを描かれたのか、聞いてみたかった」。
ベルゼブモンはキュウビモンにダブルインパクトを放つ。もはや過去を断ち切って。シウチョンをロップモンが守り、更にガードロモンが初のディストラクショングレネードを撃つ(この技カワイイ)。小中氏「ガードロモンをメイン・デジモンに加えたいと思ったのは、ここから第三部はシリアスな展開が多くなり、子どもを少しでも楽しませたいと思ったからだった」。それは成功しています。グラウモンがエキゾーストフレイムを放つがベヒーモスでよけられてしまう。
キュウビモンが飛び込んでベルゼブモンをベヒーモスから叩き落す。ルキは進化を求めるが、キュウビモンはダメージで応えられないながらも、弧炎龍でベルゼブモンの銃を振り落とす。もう余力のないキュウビモンにベルゼブモンはとどめをさそうと近づく。
やめろとグラウモン。果たして怒りが限界を超えたタカトは、悪魔になっちゃったんだ、倒せ!と怒りに任せて叫ぶ。タカトの変貌ぶりにおびえるジュリ。グラウモンも痛打され、崩れる。
さあベルゼブモン、キュウビモンをくそ生意気な狐と呼び、暴行を加える。小中氏「キャメラは留姫に移るが、効果音でキュウビモンを痛めつけている音が執拗に聞こえる。直接的な暴力描写は控えているのだ」。カードを選べず、珍しくもおろおろするルキ。「俺は、お前を殺さなきゃならねーんだ!」覚悟の宣言。わずか残る力で、目を覚ませと呼びかけるキュウビモンに、ベルゼブモンの振り下ろした手を止めたのはレオモンだった。
見ていたレオモンも同意見で、事情は知らないが、踊らされているだけと忠告。左パンチ即座に右パンチ、しかしベルゼブモンは倒れず立っていた。力で進化などできない、それがわかったのだとジュリを見やるレオモン。「お前の運命は、あの子供たちを殺める事ではない」と断言。うるせえとばかり、ベルゼブモンの拳がレオモンの体躯を貫いた!あのやさしく強いレオモンが負けた、一同愕然。仰向けに倒れるレオモン、腹部から量子崩壊が始まる「なぜわからない、なぜ話を聞こうとしない…」無念。激しく首を振り泣くジュリ、消えていくレオモンを見送って。ジュリには聞こえた、「これが私の運命だったらしい」取り乱すジュリのDアークの光が消える。もう遅い、レオモンは死んだのだ。データをロードするベルゼブモン、もっと強くなってやると。タカトの憤りはMAXに!
小中氏のブログより「私がなぜ、テイマーズで「デジモンの死」を描こうとしたのかについては、何度も語ってきたし(中略)/携帯ゲームから始まり、テレビアニメの「アドベンチャー」が生まれ、ワンダースワンでも秋山遼を主人公とするRPG が作られていく。携帯ゲームとしてのデジモンは、《たまごっち》という玩具がルーツで、卵から育てていく。その成長が××期への「進化」と定義づけられていた。/ゲームとしてはそれで充分だし、一旦その寿命を迎えたら、はじまりの町でデジタマから転生する、という設定も、抽象的な液晶ドットで描かれたキャラクターなら現実と折り合いがつくだろう。/しかしドラマであるアニメーション番組は、人間の子どもと関わり合う。前シリーズは、SFとファンタシ―の絶妙なバランスによってクリアしていた。だがテイマーズはあくまで現実世界が主題であり、そこに人工生命が現れたらどうなるかを、真剣に考えて作ろうとしていた。SHIBUMIが言っていたという、生物の命と人工生命の命に違いがあるのか。客観的に見れば当然違う。だが、そこに人のイマジネーションによる「思い入れ」があったなら、全く違いはない筈だ。何故なら、そこに映し出されているのはキャラクターという人格なのだから。/だから、テイマーズのデジモンは限りのある命しか持ち得ない。そうでないと、見ている子どもに間違ったメッセージを送ってしまう事を懸念していた。失敗しても1回死ねばやり直せる─、そんな安直な考えに至るとは当然思っていないが、だとしても映像記憶というのは自分が認識している以上に、強烈に焼き付くものだ。これは自分自身の実体験から言える。/しかし、ただメインのキャラクターが死ぬという描写さえあれば済む話ではない。その存在がロストされた事が、残された人にはどういう影響を与えるのかも描かねば、意図が伝わらない。/テイマーズでは、グラウモンのいわゆる「暗黒進化」としてメギドラモンという恐ろしい究極体を見せる必要が、企画(原作)側から課せられていた。単にタカトが極端な感情に駆られただけで、そうした描写をしてもショックさは伝わらない。タカトは、ギルモンがどういう過程で誕生したのかを知ってしまい、ギルモンという存在自体に疑問を抱いていた。この時、タカトの気持ちとギルモンの気持ちは明らかに乖離している。だが、クルモンの進化の光を得るまでに進化を強く希求する気持ちがタカトの中で沸かねばならない。非道なベルゼブモンに対する怒りである。/第一話からの1クール目の、ちょっと控えめな性格の、泣き虫ですらあったタカトをここまで変えてしまうショックが必要なのだ。/そして─、樹莉については当然、誰よりショックを受けている。それには理由があるのだと今後明かされるので、樹莉については後に送ろう。/ともあれ、本気で子どもに見て貰おうものを、と考えた挙句がこうした場面を必要とした。テイマーズを最初から好きだった人であっても、大人になった方が愉しめるという。そうなのかもしれない。けれど、私は子どもに見て貰いたかった。ショックを受けて貰いたかった。それだけの価値があるものだとは今尚思う」。
子ども(視聴者)に、ちゃんと伝わったと思います。私はゲームは詳しくないのだが、今なお、ゲームで育成した個体が死んでしまうのはシステム上何とかならないのかというゲームファンの声を散見する。育成し上げた以上、データを手元に置いておきたいと願う気持ち、それは育てた個体に思い入れがあるからだ。ゲームである以上死んだら割り切ってやり直せばいいという意見もあるにはあるが、私は前者に気持ちが魅かれる。
小中氏「グラウモンはまだ死の意味や重さもそう深くは知ってはいない。しかし、それまで生きていた存在が消えてしまうという現実に直面し、狼狽える。あの優しかったレオモンが…。そこで湧き上がる「本能」という「運命」」。/闘うか恐れるか。グラウモンは闘争の本能を現わす」。怒りで激高するタカト、身を震わせ歯をむき出し食い縛る。タカトの背景が光り、カードもDアークも介さず完全体メガログラウモンへと進化。タカトとメガログラウモンの激しい咆哮。
ジュリを案じてヒロカズが引き戻そうとするが、ジュリは拒否「私に触らないで!」一番デリケートな心情に、誰も近づかせてくれない。危ないのに…。
やっと完全体かよ、だが犬死にとほざくベルゼブモンに、タカトは憎悪を募らせていく「こいつを、絶対に倒す!」。突っ込んでいくメガログラウモン、ベルゼブモンに噛みつく。表情がもうイッちゃってるタカト、やめてと懇願するジュリを尻目に。メガログラウモンの顔面にベルゼブモンのダークネスクロウが刺さってしまう。タカトが激高したままさらなる進化を願う。
すると嫌がるもクルモンの額が自動的に反応…。深き場所より四聖獣の領域まで届く進化の光。それは四つの領域に到達。朱雀門も赤く光り、メガログラウモンに届く。メガログラウモンの胸のハザードマークが点滅し、それはRWにも異変をもたらす。山木「最大級の危機、デジタルハザードか?!」。新宿の空へ延びる赤い光の柱。目撃したジャンユーは危機を感じ子どもたちを案じる。無力感。
咆哮するメガログラウモンは炎に包まれ、タカトの願い通り究極体に進化した。しかし、現われたのは禍々しい形の知性などない究極体、メギドラモンだった!
僕が望んだから?と正気に戻って悔いるタカト。思わず後ずさるベルゼブモンに、にじり寄る巨体のメギドラモン。あまりのおぞましさに頭を抱え悲鳴を上げるジュリ。タカトの手中のDアークはひびが入り、壊れて消えてしまう。まさにテイマー失格…。
小中氏が34、35話を書く上での苦悩とは。「テイマーズに於ける究極体進化の形を、パートナーとデジモンが二心同体として共に戦わせたい─、という構想は最初期から持っていた。それを実現する為にあれこれと背後では動いて荒牧伸志さんを引き込んだ(最初に相談したかった事案がこれ)。/実のところ、プロデューサー(東映アニメ、フジテレビ、読売広告社)からも、企画社(WIZ/バンダイ)からも反対などされなかった。でも今度は、物語を編むうえで自分が困難になっていく。そこまでになる必要があるのだろうかと。/しかし究極体のデザインを見ると、タカトとは別存在としての物語はどうしても考えられなかった。かと言って安易に、ロボットに搭乗するといったニュアンスになっては絶対にならない。タカトであり、進化したギルモンという二者が内部にあるという表現をしなければならない。そうした真なる究極進化が如何に困難であるかという、イニシエーションを経る必要があるのだと、結論を出して提示したのが34話だった。/インプモンという存在を如何に物語で活かすかというところから、この34話、そして次の35話で一つのクライマックスにすべく、34話はタカトもグラウモンも、地獄の様な経験をしてしまう事になる。/だが、このプロセスを経たからこその、カタルシスがある。/そう自分に言い聞かせ、心を鬼にして書いたシナリオだった。こんなものを書くエネルギーは、もう今の私にはない。/だけどもう沢山だ、と思った。/津村さんには本当に過酷な芝居を要求してしまった。私たちが大好きで描いていた、イノセントなタカトではない、タカトだった。/従って、次回はその最初のタカトを取り戻すのだ。/「運命」についてなど、今話から張った伏線などについては回収時に記そう」。
本当に、お疲れ様です!怪物メギドラモンがいたからこその騎士デュークモン。無印、02について、「パートナーたるデジモンだけを戦わせて子どもらは後方支援をするだけなのはどうなのか」という批判が一部にあったと聞いている。だからこその、二心同体を描くテイマーズの形が生まれたのだろう。それはやがて、子どもがデジモンそのものとなるデジフロに繋がっていくのだろう。

次回予告:メギドラモン、だけど元は僕の作った大切な友だち、ギルモン。真の究極進化よ今!ファイナルコールはタカトとギルモン。

(2022/2/2 記)

 

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